白いストッキングの下の毛

私が初めて足の毛を意識させられたのは、看護婦さんの純白のストッキングの下に存在する、すねの毛だった。当時はまだ「看護婦」さんと呼ぶのが普通だったので、ここでもそう呼ばせていただく。

あの純白のストッキングは、看護婦さんという職業以外、一体いつ着用する機会があるだろうか。一般人ならほぼ無い。幼稚園児がそういえばそんなものをはいているような光景を見たことはあるが、あれはタイツであってストッキングではない。

ストッキング談義はどうでもよい。白衣の天使だからこそ、許される(?)純白のストッキングである。私も私の家族も、そんなに病院の世話になることは少なかったので、まじまじと看護婦さんたちのましてや足なんぞ、見たことはなかった。

しかしそんな比較的丈夫な生活を送っていた我が家で、母が入院しなければならなくなった。母子家庭で母親が入院をするという、子供にとっては寂しい出来事である。祖父母の家に預けられ、病院へ母のお見舞いに行った。当時は母の病気も手術のこともよく分からなくて、ただ見舞いに通ったのだった。

そして出会ってしまったのである。真っ白なひつじの毛の下に存在する、オオカミの腹黒い毛に。いや、違う、今でこそそんな比喩を使ってしまうが、そこにそんな腹黒い心は無い。あるのはただ現実だけである。純白のストッキングの下からしっかりと覗くすね毛。薄くもなく、まばらでもなく、短くもない、やや草原のような黒い毛たち。

たとえ純白の上からでも蓋をすることができなかった、悲しくも雄々しい現実たち。それを見たのが大人だったら、うわっ手入れしてないよ、とドン引きする程度で済んだかもしれないが、なにぶん幼かった私には、まるで見てはいけない別世界を見てしまったような気がした。

ナースたちは白衣の如く、清らかで、毛なんか生えないとでも思っていたのだろうか。ナースとすね毛、というものが繋がらなかっただけか。幼い私はただ困惑したのであった。

その後も、デパートの女性店員さんの肌色のストッキングの下から覗く毛たちや、ストッキングのわずかな隙間からニョキっと元気に立っているすね毛たちを何度か目撃した。
おかげでスカートをはく時は、大変に足の毛に注意を向けるようになった。冬は厚手の黒いストッキングでごまかせるからいいが、暑い季節などはまめに手入れをしてやらないと、短い毛はよく立つので例のみっともない状態にならないよう大変である。

どうしても面倒くさい時は、究極の手段、ズボンをはく。これがじつに楽である!しかし生涯、純白ストッキングとすね毛との出会いは忘れないだろう。その後の人生において、女っ気のないズボラな私に、脱毛処理機を買わせたのだから。